Monday, 26 September 2016

A Woman Who Breathed Life into Photographs

三菱一号館美術館で開催していた「ジュリア・マーガレット・キャメロン展」。
春に招待券をいただいており、行ける日を心待ちにしていた回顧展のひとつでしたが
なんだかんだ忙しく、展覧会が終了する1ヶ月程前にやっと訪れることができました。

セピア色の写真の数々とレトロかつクラシカルな三菱一号館美術館の雰囲気の組み合わせは完璧で、
それはもう大層贅沢な時間を過ごしたよ!

美しい青色を背景に1866年撮影の「ベアトリーチェ」が切りとられ、
その下には流れるようなFrom Lifeという白い文字...。
購入した図録は裏表紙がとっても素敵!

1815年に7人姉妹の2番目として誕生したジュリア・マーガレット・キャメロン。
父は東インド会社の上級職員、母はフランス貴族の子孫という家庭のお嬢様は
23歳で結婚し、6人の子供が独立すると、英国ワイト島のフレッシュウォーターに生活の場を移して
写真制作を開始することとなります。
きっかけは、48歳のクリスマスに娘夫婦からプレゼントされた一台のカメラでした。

ジュリアはすっかり写真の虜となり、精力的に写真家として活動を始めます。
驚くことににその1年半後にはサウス・ケンジントン博物館(現V&A博物館)に作品が買い上げられたそうな。

当時、写真といえば被写体をしっかりと記録して真実を伝えるための手段であったのに対して
ジュリアの撮る写真は、イタリアルネサンスの絵画を意識したような構図で
モデルたちが宗教上あるいは歴史上の人物に扮した姿であったり
数枚のネガを1枚の写真におさめた、合成写真の先駆けのようなものでした。


St. Agnes (1864)

May Day (1866)
*Source

彼女は自身の写真に対する思いを次のように語っています。

「私の夢は、詩や美しいものに精一杯身を捧げ、真実をまったく犠牲にすることなく
理想と現実を組み合わせることで、写真の品位を高め
写真にハイ・アートの特徴と有用性をもたらすことです。」

絵画を模倣した写真、作り込んだ演出もと生まれる写真は、当時高く評価されるともに
批評の的になったそうです。
それでも彼女は自分らしい作品づくりをやめることはありませんでした。
写真が芸術作品として世に認知されるようになったのは、キャメロンの活躍あってこそと言っても過言ではないかもしれません。

彼女の作品は、写真の被写体や構図以外に写真のプリントにも特徴が見られます。

当時の写真印刷技術は「コロディオン湿板方式」と呼ばれるものでした。
ガラス板に薬剤を塗って、乾かないうちに写真撮影を行い、さらにそれを硝酸銀に浸す必要があって...。
今では考えられない程に厄介で神経を使う作業だったため
1枚の写真を作る過程でほこりや指紋が写真に映り込んでしまい、失敗をすることも多くなかったと言います。
また、長時間の露光中にモデルが動いてしまっため、
折角撮影した写真の被写体が見事にぶれていたこともしばしばあったとか。

写真にほこりが付いてしまったり、モデルの顔がぼやけてしまったり。
これは通常、失敗、と言われます。
しかしジュリアは、この「失敗」も、作品の一部として扱い、
そしてそれらは見事に写真の主題にとけ込んでいるのだから、本当にすごい。
写真の隅っこに彼女の指紋の映り込みを見つけたときには、
とても微笑ましい気持ちになりました。

19世紀の最も重要かつ革新的な写真家といわれているひとりのイギリス人女性が生み出した作品は
撮影されたのが100年以上前であるということが信じられない位に生き生きとしていて
今にも動き出しそうな「生」が感じられます。

ときには絵画のように、ときには実験的に

彼女の写真は、シャッターひとつで簡単に写真をとることができる時代を生きるわたしたちに
写真の奥深さと楽しさを教えてくれます。