Sunday, 27 January 2013

APRÈS MAI

「どれだけの運命があの時代の信条のうちで燃え尽きたことか。
またどれだけの青春が犠牲になったことか。
だれもが自分で断念したものに応じて自分を定義することに誇りを感じていた。
大学に仕事に家族。何の後悔もなく捨て去った。
[・・・]
彼ら(若者たち)は全身全霊をかけて社会との関係を断ち、
後戻りなど考えずにまた別の生に乗り出そうとしていた。」
(オリヴィエ・アサイヤス著『5月の後の青春ーアリス・ドゥボールへの手紙、1968年とその後』より)


去年のTIFF、六本木TOHOシネマズの大スクリーンで鑑賞したアサイヤスの『5月の後』。
(先日のカイエ・デュ・シネマ週間でも上映されましたね!)
よい映画だったのにすっかり感想を書くのを忘れていたので、今更だけど書き留めておこうと思いたちました。

タイトルに用いられている5月とは、1968年のパリ5月革命のこと。
学生運動が発端となって行われた講義運動の嵐。
約1千万人(フランス労働者の3分の2)が参加したストライキはフランス史上最大のゼネストになりました。
当時まだ13歳だったアサイヤスはこの闘争に「間に合わなかった」のですが
1970年代前半リセの学生となってからは、政治活動という名のもとに
学内では学生会館を掌握し、ストを打ち、学外ではデモを組織しては機動隊と衝突していたそうな。
この映画はそんなアサイヤス監督10代の頃の経験が反映された、ひりひりと、そして眩しい青春劇。
上映後には静かに拍手が起こっていたのをよく覚えています。

青春と闘争。タバコとドラッグのむせかえるような煙のイメージに眩しい新緑。
ゆらゆらと揺れる視界の中の、ワンピースを着た美しい女の子。

映画の舞台は1971年。
もっさりとした髪型と絞り染めのTシャツがトレードマークの主人公ジルは
絵の創作に没頭すると同時にリセの仲間と共に政治活動にのめり込んでいました。
手作りの機関誌を校門近くで売りさばくこと、デモに参加すること、
深夜の学校に侵入して煽動的なポスターを貼りスプレーで"DESSOLUTION"と壁に書きなぐること。
それらは絵を書くのと同じ位に大切なことだと思っていたのです。
ある日の深夜、学校の警備員に生死を彷徨う大怪我を負わせてしまったジルたちは
事件のほとぼりがさめるまでイタリアで生活することを決意。
雲隠れの為に訪れたその地での新たな出会いから、
同じ目的の下繋がっていたはずの彼らはそれぞれ別の未来を歩んでゆくこととなる。

冒頭に挙げたアサイヤスの著書の引用のとおり、映画の中で仲間たちは
いとも簡単に家族から離れ、大学進学を辞め「愛する人の為」「革命の為」生きてゆこうとします。
そんな中美術大学進学の為たった1人パリに戻ってくることとなったジルは
自分の加担した革命は学生のお遊びでしかなかったことに
今の自分は革命の傍観者であるということに、もうとっくに気付いていたのでした。

わたしはこの時代のことを何も知らない。何も知らないけれど。
革命があってもなくても、青春はいつだってこの映画のようだ、と思いました。
数年後の自分はおそらく気にも止めないであろうことに必死になり夢中になって
何故だかわからないけれど、ある瞬間にぱたりとそれから離れてゆく。
そこからみんな大人になってゆくのです。懐かしさと希望と、少しの後悔をもって。



PHOTOGRAPHY


表参道ヒルズのSPACE Oで今日までの開催だった写真展"PHOTOGRAPHY"を駆け込みで観てきました。

言わずと知れたシリアス・カラーの元祖ウィリアム・エグルストン
同じくニュー・カラーの代表作家であるスティーブン・ショアー
パリとNYで活躍する女性写真家のナン・ゴールディン
カルティエ=ブレッソンに「別の太陽系から来た写真家」と言われたという英国のマーティン・パー
アメリカを代表するスーパー有名な写真家テリー・リチャードソン
シガーロスとのコラボで知られる、若き才能ライアン・マッギンレー
・・・・
今をときめく豪華な6人のフォトグラファー達が
FUJIFILMより提供されたデジタルカメラXシリーズを使用して撮りおろした作品を
無料で(ここポイント)観れちゃう写真展。

使われたカメラが展示されていたり
彼らの写真集が自由に見れるようにたくさん並べられていたりして
とても満足できる空間でした。

入場料フリーで見れる写真展は都内各所にぽつぽつあれど
こんなに有名な写真家たちの作品を一度に拝める機会って
今までなかなか無かったのではないでしょうか。

ライアン・マッギンレーの撮影した、緑の中に佇む妖精のような女の子の写真の前から暫く動けませんでした。

Thursday, 17 January 2013

The Marriage of Maria Braun

「古い映画は死んだ。我々は新しい映画を信じる。」

フランスがヌーヴェルバーグ、イタリアがネオ・レアリズモならば
1960年代のドイツはニュー・ジャーマン・シネマでした。
第二次世界大戦以前の商業的な大作映画ではなく、低予算で、ユニークで、良質な作品をつくる。
若き才能のあつまったひとつの時代。

この新しい西ドイツ映画の主流をつくりあげた映画監督の1人
ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーの作品がイメージフォーラムにて5週間だけ甦る・・・
去年の暮れにそう聞いて、これは是非とも観なければ!と思っていたのを
やっとやっとやっと、上映の終わる一日前の今日観ることができたのです。

涙は全くでないけど、あぁほんとうに、ぶるぶると震える素晴らしい映画だった。

『マリア・ブラウンの結婚』。

第二次世界大戦も終わりを迎える寸前のある日
爆撃下の戸籍登記所で結婚式をあげたマリアとヘルマン・ブラウン。
しかし半日と一晩をともに過ごした後、ヘルマンは東部戦線へと遠征してしまいます。
あまりにも短すぎた2人一緒の時間。
母と祖父との貧しい生活を支える為にアメリカ占領軍御用達のバーで働き始めたマリアは
ある日戦地より帰還した親友の夫からヘルマンの死を聞き、打ちひしがれて
仕事先の常連だった黒人のアメリカ人兵士の求愛を受け入れました。
しばらくして彼女は妊娠。やっと穏やかで平和な暮らしを手に入れたかと思ったとき
なんと死んだと思っていたヘルマンがロシアでの抑留生活を終えて帰郷してくるのです。
その動揺からアメリカ兵を瓶で殴り殺してしまうマリア。彼女の罪を全て被った夫。
再び離ればなれになってしまった愛するヘルマンのため、マリアはある決心をしたのでした・・・。

冒頭スクリーンにバーンと映し出されるアドルフ・ヒトラーの写真。
それが爆風で破られて、この映画はスタートします。
戸籍登記所と書かれた建物の壁が空爆により壊されて室内の様子があらわになると
そこには結婚の誓いを交わしている最中の男女の姿。
わめき叫び屋外へと避難する人々。
「待て!逃げるな!」
風に飛ばされそうになる婚姻届を必死につかみ、地面に這いつくばって結婚の署名をする。
そこに次々と役者やスタッフの名前が現れ、たくさんの赤い文字で画面が埋め尽くされてゆく。

なんとまぁ印象的なオープニングだったことか!

バー勤めの女が己の美しさと頭の良さで男達を翻弄し、実業家にまでのぼりつめる話。
戦後の混乱を必死に生き抜いた女の、ささやかな幸福とありあまる破滅の話。
ときどき流れるサスペンス調の大袈裟な音楽とくすっと笑わせてくれる台詞が
(特に家族の会話とマリアの裁判での独英通訳者の様子が面白い)
この映画にどこかお茶の間劇場的なエッセンスを与えていてそこがずるい程に憎らしかった!
これは壮大な恋愛劇であり成り上がり劇でありコメディであり史劇であって悲劇なのです。

執拗なくらいアップで映されていた、タバコをくわえる彼女の唇とコンロの火。
亡くなった愛人からの莫大な遺産が入り、愛する夫も戻ってきて
今からまさに順風満帆な毎日を迎えるはずだったマリアの最期はあまりにも衝撃的であったけれど
同時に「あぁやっぱり・・・」と思う自分もいたりして。
「ドイツが勝利!試合終了ー!試合終了ー!」
サッカーの実況中継をしているアナウンサーの高揚した声がマリアたちの死の瞬間に響き渡ります。
そう、終わったのだ。終わったのだよ、と。

エンディングではこれまたドーンとアデナウアー首相の写真が写り、
ここでわたしたちはマリアが戦後の西ドイツの象徴であったのだと気付かされます。
初めはアメリカ兵を、その後はフランス人実業家を利用しマリアが社会的な地位をあげていくその様子は
米国によるマーシャルプランと仏独間で戦争を繰り返さないという考えが基盤のECSCを経て
世界も驚く劇的な経済復興を成し遂げた西ドイツの様子としっかり重なっていたのだと・・・。
(映画の後わたしが家で世界史の教科書を開いたのは言うまでもないこと。懐かしい世界史。大好きな世界史!)
劇中アデナウアーの再軍備宣言から時を経たなくしてマリアが一生を終えること自体が
「戦後の西ドイツ」の終わりを、
そしてNATOにも加盟した「新生西ドイツ」の始まりを暗喩しているのでしょうね。

こんなに見事な面白い映画だったとは。
37歳という若さで逝去したファスビンダー、恐ろしい監督。


Sunday, 13 January 2013

Cat in the Rain

一度読んだ本を暫くしてから読み直してみる度
以前は気にも止め無かった部分に「はっ」とする気付きが隠れていたことを知ります。

新しい発見。
自分が大人になることで、見えなかったものが見えてくる。

大学生時代に読んだヘミングウェイの短編集をこの前たまたま再読したのだけれど
それこそまさに新しい発見の連続で、どきどきさせられてしまいました。

とくに"Cat in the Rain"の切なさには、涙すら出てきそうになったんです。
21歳のわたしはあのときこのストーリーを何とも思わなかったはずなのに。


イタリアのある海辺の街に滞在しているアメリカ人の夫婦。
その日は雨が降っていて、夫人は窓の下に小さな猫がうずくまっているのを見つけます。
雨にあたらないように、身を縮めながら。
猫を連れてこようとする夫人。興味を示さない夫。
傘を差し出してくれたメイド。親切なホテルのオーナー。
外に出ると、猫はもういなかった。

"Ha perduto qualque cosa, Signora?"

"There was a cat."

"A cat?"

"Si, il gatto. Oh i wanted it so much. I wanted a kitty." 


何か失くされたのですか、奥様?

猫がいたの。とても欲しかったの。あの猫が欲しかったの。
髪をのばしたい。借り物でない銀の食器で食事がしたい。
キャンドルが欲しい。今が春だったらいいし、鏡の前で髪にブラシもかけたい。
そしてそれから子猫が欲しいの。子猫が欲しいの。


少女のような1人の夫人の、堪え難い孤独がじわじわじわじわとわたしの心に染み込んでくる。
ひとりでいるのは寂しい。ふたりでいても、もっと寂しい。

結婚した夫の支配と無関心。あの猫はわたし。

シャーロット・パーキンズ・ギルマンの『黄色い壁紙』を思い出したりしました。

ヘミングウェイはこれを24ー25歳の頃に書き上げたという・・・。

飴細工みたいに繊細な、みじかいみじかい物語です。




Thursday, 10 January 2013

Nostalgia is not what it used to be


踊るミッキーの描かれたセラミックのご飯ボウルを偏愛していた幼稚園児のわたしがその美しさに一目惚れし
それから後の何年もずっとずっと憧れのお皿だった、
誕生日やクリスマスのような特別な日にだけ我が家のごちゃごちゃとした食器棚から取り出される
真っ白くて細やかなガラス細工のプレート。

もういつのことだったか覚えていないくらい遥か昔に両親からプレゼントされて
母が入院してたころも父が仕事で忙しかったときもずっとそばに置いていたのに
ある日突然金色の支柱が壊れちゃったのが悲しくて泣きながらおばあちゃんと一緒にボンドで修理をした
思い出のメリーゴーランドのオルゴール。


小学6年生の修学旅行先、函館のトラピスチヌ修道院のお土産コーナーで
キリスト教でもないし神様なんて信じてなかったのになんだか無性に気になって
めちゃめちゃ美味しいバター飴や手作りクッキーの中に紛れ込ませ
友達にも秘密で買っておいたマリア様の置き物。

7年前に生まれて初めてパリを訪れて以来、フランスへ行く度に「今度こそは絶対に買おう」と思いつつ
路上でお土産物を売っているお兄さんに声をかけて値切るのも恥ずかしいし
かといってお店で買うとバカみたいに高いし・・・なんていつだって躊躇してしまって(ばか!)
やっと一昨年の夏破格のお値段で購入することができたピカピカの特大タワーエッフェル。


これら全部の大好きなもの、鞄にぽいぽい詰め込んで、弘前の家からよいしょっと、東京へ持って帰ってきた。

今は全部都会のマンションの小さな小さな部屋の中にあって、
なんだかわたしはすごーく守られてる気分。