Sunday, 28 October 2012

La Guerre est Declaree

『わたしたちの宣戦布告』
久々に、とてもよいタイトルだと思いました。


パーティーの開かれている夜のパリで出会い
偶然か必然かすぐさま恋に落ちた男女の名前はロメオとジュリエット。
やがて2人は息子のアダムを授かります。

かわいい我が子と幸せいっぱいの生活が待ち構えているかと思った矢先
シェイクスピアの悲劇の主人公と同じ名前を持つ彼らにこれまた偶然か必然か
考えもしなかった試練が突きつけられたのでした。

「アダムくんはラブドイド腫瘍という病におかされています。
治癒する確立は10パーセントしかありません。」

医師からこの絶望的な宣告を告げられたとき
彼らは決意するのです、息子と共に絶対に病に打ち勝つのだと。

さぁここから家族の戦いがはじまるーーー。


なんとまぁ大きな愛とパワーみなぎる映画だったことか!
わたしの持つ「難病もの映画」の感傷的なイメージ(多くの場合この手の話はとても苦手)を
大きく気持ち良く裏切ってくれる作品でした。
ロメオとジュリエットは、踊り、歌い、愛し合い、お酒を飲み、タバコを吸って、ジョークを言って
泣きながら笑いながらそれぞれの友人・家族を巻き込み戦うのです。最後に勝つために。
その様子は痛快そのもので、一ミリの暗さも感じさせません。

クラシック、ロック、エレクトロ・・・ジャンルを超えてピックアップされたセンス良い音楽の数々と
それにあわせて「走る」シーンの多用がとても印象的でした。

恋に落ちたとき、夜のパリを走る。
アダムを抱え電車に乗るために、走る。
検査結果を待つ間、病院の中をものすごい勢いで走る。
お揃いのウエアを着て、ジョギングをする。

特にジュリエットが不安を払拭しようと病院の廊下をひとり激走する場面が素晴らしくて
カラックス監督の『汚れた血』でドニ・ラヴァンが夜のパリを延々走る名シーンと同じ位
わたしの心にエモーショナルに訴えかけてくるものがありました。
・・・その結果涙腺崩壊。うぅぅ。

走る走る走る。

この映画の特徴は、常に忙しなく動いている感じにある、と言ってもよいかもしれません。

突然歌いだしてミュージカル調かと思えばとたんにサスペンスチックに、
かと思えばコメディタッチだったり、ファンタジー風になったり
ぼけっとしてたら付いて行けなくなっちゃう位くるくる変わる場面のみせ方は非常にポップで、
「断固としてお涙頂戴のしんみり映画にはしない!」という監督とスタッフの気概が伝わってきます。

というのも、この映画は主演のヴァレリー・ドンゼッリとジェレミー・エルカイム(久々にヒットのいけめん)、
元恋人同士である彼らに起こった出来事を基に書かれている作品なのです。
ラブドイド腫瘍を見事に克服した2人の息子、ガブリエル・エルカイムくんは
映画の最後、成長したアダム役として映画にも登場しているのでした。
実際彼らに起こったことだったからこそ、それをアレンジして
既存の概念をぶち壊した、思い切り新しいかたちの映画が作れたのですねぇ。

監督と主演を務めたヴァレリー、共同脚本と主演を務めたジェレミー。
プライベートでの恋人関係はすでに解消しているも、
「映画をつくる」ということにおいてはお互いがお互いを尊敬してやまないようで
次回作でも共演するらしい。
恋人関係を経て現在は同志のような関係の2人からは、この映画のようにでっかい愛を感じましたよ。

現代のロメオとジュリエットは決して悲劇のヒロインたちじゃなかったってこと!

底知れぬ生命力にあふれた映画です。


IZIS- PARIS DES REVES

もう2週間も前のことだけれど、日本橋三越にて開催されていた
『イジス写真展ーパリに見た夢』へと行ってきました。
5日間だけの写真展。
お仕事先で招待券を頂かなかったらきっとイジスという写真家の名前すら知らないままだったかも知れない。

ロベール・ドアノー、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ブラッサイらと同時代を生きた
ヒューマニズムの写真家イジス。
1911年ロシア占領下のリトアニアの貧しい家庭に生まれたイズラエル・ビーデルマン。
ヘブライ語学校で「夢みる人」とあだ名を付けられた彼こそが後のイジスでした。
建具屋にしようとする父の意思に反して写真の修行と絵画に没頭した彼は
19歳の誕生日を迎えるちょうど一週間前、1930年の1月11日に
憧れてやまなかったフランスはパリの北駅へ降り立ち、
貧困に耐え、戦争に翻弄されながら写真家としてのキャリアをスタートさせたのです。


パリの夢・解放の夢・芸術家たちの夢・楽園の夢・ロンドンの夢・約束の土地の夢・サーカスの夢
という7編で構成されていた今回の写真展。

会場に入ると一番始めに目に入ってきたのは
第二次世界大戦下、疎開先のリモージュ解放に伴いフランス解放軍に参加したイジスが撮影した
地下活動を行うレジスタンスの闘士たちの写真でした。
制服に身を包み、無精髭をはやし、銃を抱えタバコをくわえたマキ(抗独レジスタンス活動家)の姿。
イジスはこの撮影にあたってあらゆる芸術性を排除し、
何よりもありのままの写真の真実性を何よりも優先したと言います。
迷いなど一切なく、凛とした男達の眼差しに色々なストーリーを想像して
のっけから目頭が熱くなってしまいましたよ・・・。

さて、イジスが本写真展のタイトルにもなっている「パリ」を本格的に撮影し始めたのは
第二次世界大戦が終わってからのことでした。
イジスの切りとったパリの写真の数々は、先に見たマキの写真と正反対にリアリズムが抑制され
その分夢想的で詩情あふれるものとなっています。
パリの子供、恋人、そして浮浪者も。
ロベール・ドアノーの写真のようには作り込まれていない(感じがする)のに
現実と非現実の狭間を行き交う、夢うつつな雰囲気があふれているイジスの写真。
これはきっと、イジスにとっての「憧れの楽園としてのパリ」そのものだったのだなぁと。

『ファルギエール広場』1949年

『セーヌ川』撮影年不詳

『ロシュシュアール大通り』1959年

『ミヌート・プレヴェール』1951年

『ポール・ド・パッシー』1948年

『ポワソニエール大通り』1949年

『チュイルリー公園』1950年

『ヴィクトール・バッシュ広場』1950年


「何故パリなのか?パリは私の想像力をかき立ててきたからだ。パリは光の都市だった。
私にとって、あらゆることがパリで起こった。
1931年にはロンドンもNYもベルリンも私を惹き付けはしなかった。
人々はフランスの小説を読み熱心にフランス史を学んだ。我々にとって、想像の中のパリは
他の人にとってはアメリカがそうであったように、ヨーロッパの楽園だった。
人間のエスプリ、自由、平等、そして文化の国フランスに魅了されていた。
私たちが夢を見たのはそんな国だった。」

「私はパリ以外のどんな場所でも生きることはできないだろう。
パリを一巡りしたくなるたびに、セーヌ岸から散策をはじめる。
一枚も写真を撮らないこともよくあるが、それでもセーヌから歩き始める。
(大戦が終わり)パリが解放されてこの町へ戻ったとき、セーヌ川へ行って泣いたことを思い出す・・・」

「しばしば、わたしの写真は現実的でないと言われる。
わたしの写真は現実的ではないかもしれないが、それがわたしの現実だ。」


20万人以上が犠牲になったと言われる大戦直後のフランスの現実は、厳しいものだったに違いありません。
それでも、パリに憧れパリを愛し、パリに没した異邦人イジスは
彼が少年時代にリトアニアで夢見ていた楽園のイメージと同一のものーーー
「非歴史的で神話的な理想郷」としてのパリをを撮り続けたのです。

その視点はどこまでも夢見がちで「よその土地からやってきた人」という感がする・・・。

彼は永遠の旅行者だったのかもしれません。


Wednesday, 17 October 2012

Le Voyage dans la Lune

世界で最初の職業映画監督ジョルジュ・メリエス(1861-1938)。
彼の人生とその作品に焦点をあてたドキュメンタリー映画『メリエスの素晴らしき映画魔術』と
奇跡的にバルセロナで発見された彼の代表作『月世界旅行』のカラーフィルム版が
イメージフォーラムで同時上映されたのはこの夏のこと。

彼のアイディアと遊び心に、今観ても全く古さを感じないその技術に、
そして少し悲しい彼の晩年に、
非常に驚かされてただただ夢中になった夜の映画の時間だった。


自らの劇場をもち、大変な成功をおさめていたパリのマジシャン、ジョルジュ・メリエス。
34歳のときに観たリュミエール兄弟による映画の公開に大変な感銘を受け
自らも映画製作の道を歩むこととなります。

できたてほやほやだった当時の映画=シネマトグラフというものは
物ごとを記録するだけで「動く写真」と表現されるに過ぎないものだったのですが
メリエスは撮影中のカメラ故障によって偶然発見された手法を使って世界初のSFX技術を考案、
それに元マジシャンらしい、わたしたちが今観てもわくわくしてしまうような仕掛けと
観客を笑わせてくれる愉快なストーリーを組み合わせて、初めての娯楽映画を作ったのでした。

そんな彼の最も有名な作品が1902年公開のLe Voyage dans la Lune(月世界旅行)。
フランスの小説家ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』と
イギリスの著作家H.G.ウェルズの『月世界最初の人間』の2作品を基に製作された作品です。

世界で初めて月へと旅行することになった6人の天文学者たちが大きな砲弾に乗って月に着陸。
探索の途中奇妙な生物に襲われて生け捕りにされ、月の王に差し出されてしまう・・・。

月の顔にぶすっと刺さる大砲、にょきにょき生える巨大キノコ、パフっと煙になって消える地球外生物。
宇宙旅行だなんて夢のまた夢であった1902年---日本ならば明治35年---に、
これほどキッチュかつ奇想天外な月を舞台にした映画があったなんて!!!
無声映画であるこの作品にフランスのアーティストAIRが音楽を付けていたのもよかったです。

月へ行くことが不可能でなくなった21世紀を生きているわたしでさえ
この世界観にはわくわくさせられっぱなしだったのだから、
当時の人たちがどれだけこの作品に熱狂したのかを想像するのはそんなに難しいことではありません。
上映時間約15分30シーンから構成される、空前絶後の大作であった『月世界旅行』は
もちろん世界中で大ヒットしたのでした。

しかし。
「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」
とはよく言ったもので。(平家物語☆)

脚本から舞台美術まで映画制作のありとあらゆる役割をワンマンでこなしていたメリエスは
その後訪れた新しい時代の波についてゆくことなく、今までと同じ様な作品を作り続けたため
観客からすっかり飽きられてしまい、いつの間にやら多額の負債を抱えて破産。
失意のどん底に落ちた『アーティスト』のジョージ・ヴァレンティンさながらに
過去に製作した映画フィルムの殆どを燃やしてしまうのでした。
それからはパリのモンパルナスにあるおもちゃ屋さんで売り子をしながら生活していたそうな・・・。

こんなに才能に溢れていて楽しいことが大好きだった人。
人々から世間から忘れ去られてしまったジョルジュおじいちゃん。
彼の静かな晩年が、ささやかながら幸せなものであったことを願ってやみません。



Tuesday, 16 October 2012

Miyajima Owl


広島からやってきた宮島張り子のカラフルふくろうさん。

ひとめぼれでした。100歳すぎたおじいちゃんの切り盛りするお店で見つけて。
本当によくしてもらってる大好きなお姉さんもこういうのが好きなんじゃないかなぁと思いつき
1つは彼女に、1つはわたしに、ふたつ買ってきたのです。

先日越して来たばかりの我が家の、あたらしい本棚の上にちょこんとのっているふくろうさんは
すっかり部屋の守り神のような存在に・・・。

伝統の技にちょっぴりの新しさが加わると、こんなにかわいいものが誕生するのですねぇ。


Sunday, 14 October 2012

HIROSHIMA

生まれて初めて広島に降り立ったのは9月が始まったばかりのあの日。

わたしはあぁこれから随分と遠くへ行くのだというわくわく感と何処か少しだけ寂しいような気持ち---
きっと多くの人が海外行きの飛行機の中で感じるような思いを抱えて新幹線に乗っていました。

カープ電車。かわいいんですけど。

教科書の中でしか見たことのなかった原爆ドーム。
目に入った瞬間にぶわっと鳥肌がたち、仕舞いには泣いてしまった。
隣ではアメリカ人らしき一団が、真っ白な歯をみせてピースしながらわいわい楽しそうに写真を撮っていて
わたしだったらとてもじゃないけどそういうことはできないと思った。

平和の象徴。わたしの小学校でもみんなで千羽鶴を折って広島に送ってたなー。

駅前にも平和の象徴。

市内をまわるのには路面電車。アムステルダムを思い出した。

至る所に出没していた、気になるガールナンバーワン。

川辺のカフェ。やっぱりやっぱりアムステルダムを思い出した。

せっかくだから朝いちばんのお客さんとして紅茶を飲んだのでした。

お店の軒下でエサが出てくるのではと期待している鹿さんたち。
そう、ここは宮島です。

りりしすぎる鹿さん。

松と舟。日本てさ、やっぱりいいよね。

海にぽっかりと浮かんだ厳島神社の鳥居はやっぱり圧巻でした。

気分はすっかり平清盛。(何が)

鹿さんは神社だろうが何だろうが何処にでもおります。

広島といえばー!牡蠣!
たった1200円のカキフライ定食、ボリュームは東京で食べるそれの2倍。
プリプリでジューシーで、本当に本当に本当に美味しかったですようう。

かざぐるま、たくさん売ってた。

きっとここは鹿さんたちのアルタ前なのだね。

パゴタの赤も美しく。

せっかくなので山登りすることに。
ロープウェイからの眺めを楽しんだその後えっちらおっちら山を登り・・・・
辿り着いた弥山から下を見下ろすと、
そこに広がっていたのは青色が美しい瀬戸内海とそこに小さく浮かぶ島々。奇跡の美しさ。
パワースポットとして有名なのも納得でした。

空と海の色が溶け合うような日本三景・・・。ずっと眺めていたかったです。

弥山展望台付近は大自然の雄々しさに溢れていて、まるでオーストラリアのような景色。

ほらほら、映画『ピクニックatハンギングロック』の一場面みたいではありませんか。

弥山からロープウェイを使わず徒歩で(45分もかかってちょっぴり後悔した・・・)下山すると、
すっかり神社周辺は潮がひいており、午前中とまったく異なった風景に。

例の大鳥居もくぐれてしまう。自然ってふしぎだ。昔の人って偉大だ。小学生みたいに感動してしまいました。

最終日はお酒で有名な西條へ。

白い壁にエメラルドグリーンのパイプがアクセントの酒蔵・・・なんだか可愛らしい。
無料でお酒の試飲もできる、お酒大好きなわたしにとってパラダイスのような場所でした。

街の至る所には井戸水があって、こんな風に無料で飲めたのでした。とってもまろやかなお水。
・・・髪すごいね。

酒蔵をリフォームして作ったカフェ、酒房喫茶賀茂輝。

名物の大吟醸シフォンケーキ。
これを食べるのが西條探訪の目的であったと言っても過言ではありません。
土瓶にはいっているたっぷりの大吟醸をとぽとぽとシフォンケーキにかけながらいただきます。

あぁ至福。これで満足。さぁ東京へかえろう。


広島は思った通りに暑くって、だけど時たま涼しい風が優しく吹いていて
人がやさしくて、お好み焼きがおいしくて
楽しくて嬉しくてしょうがないのに、その明るい感情の底にはいつもある種の悲しさが纏わりついていて
ちょっぴり泣けてきちゃうような場所でした。


そうだよ、広島は、おしい県なんかじゃなかったよ。
(観光大使である有吉氏の掲げるキャッチフレーズ参照)